冴川兄弟のドタバタ珍騒動 第1章 |
広くも狭くもない道路の脇に立派な樹が生えている。その道を歩いていると、感じのいい風変わりなお店が立っていて、何だか足を止めたくなる。その店の看板には「トメリカ」と曲線を描くように彫りがしてあり、中に入ってみるとなかなかさわやかな風情である。窓からはそんなに光が入っていないはずなのに何故か明るく、周りは生き生きとした草花がひっそりと包んでいる。入り口に優しい色のガーベラの花を添え、少しアールヌーボーを思わせる曲線と、植物の描かれた扉には小ぶりの鈴がついている。 その扉が開きカランカランと鈴の音が響く。店内はまだ開店前の為客はいない。扉を開けトメリカに足を運んだ男は高校生か大学生といったところか、やややせ気味の長身で、バイクに乗っていたのかメットと黒の革ジャンを着ている。肩まで伸びた茶色の髪がの暑さのせいか濡れていたが、本人は気にしていない様子で平然としている。落ち着いて優しい微笑みを浮かべるその姿と整った顔立ちが相まって目を見張るものがあった。そんな男が入ってきたことに気がついたオーナーが洗い立てのカップを拭きながら声をかける。 「あら。はやかったのね拓也君。注文の品は二階よ」 「ありがとう」 拓也君と呼ばれたその男は笑顔で礼をいい、そのまま言われたとおり二階に向かった。二階はトメリカのオーナーが住んでいる部屋だ。少しきつめの階段を上がると居間に繋がっている。居間といっても洋風の、天井の高いオーナー好みの部屋だ。ここにも観葉植物や大きなのテーブルが置いてあり、喫茶トメリカの風情がうかがえる。その大きなのテーブル上にA4サイズの封筒が置かれていた。宛名に「拓也君」とかかれているそれを手に取ると、居間の光となっている大きな窓の下の小さなテーブル席に座り封をあける。 はじめに飛び込んだタイトルに満足そうな顔を表情をみせると拓也はそのまま読みすすめた。 ふと考えるような素振りをする。窓の外を眺めながら机の上をトントンと人差し指でたたく。しばらくして何か思いついたように椅子から腰を上げると1階に下りた。 カウンターにいるオーナーは洗物を終えてコーヒーを淹れているところだった。そのオーナーに声をかける。 「麗華さんありがと。これからもよろしく」 先ほどと同じように笑顔になる。その様子が気に入っているらしくオーナーも笑顔で返す。 「礼なら尚に言ってやって。それ尚が書いたのよ」 そう言って淹れたてのコーヒーを拓也に渡し、自分もコーヒーを飲む。 「尚って、誰?」 拓也が上目遣いでいうとオーナーはふふんと自慢げに話す。 「娘よ。ちょうどその樹斗ちゃんと同じ学校に行ってるのよ。」 「ふーん。マスターがすぐにうなずいてくれたのは尚ちゃんのおかげかな。」 淹れたてのコーヒーを楽しみながらマスターが今回の件をうけてくれたことに「なるほどね」とうなずく。 「そうね。」と一呼吸置いたマスターは続けてニヤニヤと意地悪そうな顔をして拓也にきく。 「それにしても拓也君は樹斗ちゃんみたいな子が好みだったのかしら?」 んふふとまたコーヒーを一杯飲むオーナーに拓也はあちゃぁと額に手を当てる。なんというか……やりずらい雰囲気を感じるのですが……と思いつつも拓也は素直に応える。 「うーん。ちょっと気になってるんだよね」 「ふーん?」 「はは。」 「ごちそうさま」と急いで席を立つ拓也。麗華はあわててバイクに乗った拓也を見ながら、「春かしらねえ」などといいながら笑顔でグラスをふく。今日も良い一日になりそうだった。 尚と樹斗の通う刻の森高等学校は有名な幽霊学校で、普通の学校よりも早い帰宅時間となる。何故かというと夜遅くになると校舎には不気味な声が響き、とても普通の神経では校舎には残れないからである。その為放課後は遅くまで残る人も少なく、教室も静かなので誰も近づかない。 授業終了のチャイムと共に下校する生徒たちの中に二人の会話が聞こえてくる。 「今日ついてきてくれない?」 この言葉は尚が発したものだ。 「ことわる」 突っぱねて冷たく答えて見せたのは樹斗だ。「ついてきて」というときは大抵何かあるときだ。今回も例外ではないだろう。 「まだ要件言ってないよ」 「大抵の想像はつく」 どうせなにか企んでいるはずだ。だから表向きにはいつもにこにこしていて引っ掛けやすいようにしているのだろう。その手には乗りたくないが、乗らないでいるのは楽ではない。 「今日暇なんでしょ。ついてきてくれるだけでいいんだからさあ」 「それでは、私が暇人のようだな」 「いつものことでしょ。それとも何、あんた忙しいの?」 「・・・・・・・・・・・・・・・・」 ただ行きたくないだけでは理由にならないだろうか・・・などと、つい言いたくなるが、そんな事を言っても聞いてくれる相手ではない。 「ほら、やっぱ今日はあいてるんだ。ちょっとでいいからさ」 「それとこれとは別だ。着いてきて欲しいのか?」 「そうでなきゃさそんないって」 やけに面白そうに話している尚に比べ、しかめっ面をこいて睨んでいる樹斗の方は、明らかに面白くなさそうだった。 「そんなさそいかたでは着いていくやつもついてこないぞ。だがついてやってもいい。なにかくれるならな」 「無理してこられると面白くないなあ」 「かってにしろ」 ため息交じりの声になってしまうが、仕方ないだろう。だが、尚は見計らったかのように淡々と話を続ける。 「だって面白くないんだもん。普通いやいやついてこられてうれしい人っている?いないでしょう。私だってそうなの」 「確かにな。だが何かくれれば嫌々にというほどでもないぞ」 尚の表情が少し引きつる。 「樹斗も素直について着てっていわれたら、いいよって言ってくれてもいいじゃないの。 私も樹斗が何かあったらいくからさあ」 「何かあったらいくというのは、私に害があってから悠々とその姿を見に行くということか」 「冷たいわね。そんなに私についてくるのがいやなの?」 「いやというより、尚に着いていっていいことはないから、自己防衛のつもりだが」 これは今までのことから樹斗が学んだことだった。 「そんな。人を危険人物にしないでよ」 「確かにひどいことだが、尚に着いていくと私自身が危ない。それなのに尚はいつも何ともない。私がいなくても平気だろう。」 これもまた本当のことだ。 「じゃあ、樹斗は私が何かあげたら来てくれるのね」 「どうしてそうなるんだ」 「さっき言ったじゃない。何かくれたらついていくって」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 ここまでしのいでいたのに、一言余計に言ったために行くことになるとは。 「じゃ、何かあげるからついてきてね」 仕方ない。まあ今回はおまけもついたから、今のうちに何かを決めておこう。 「そうだな、おいしいと評判の「トメリカ」のストレートティーをもらうよ」 またため息交じりの声になってしまう。尚はにやにや笑ってる。不愉快だったが、そこまで言われると何だかめんどくさくなってくる。とにかく、ついていくことになってまた夜に家を出ないといけないのだ。 「今日はお兄が帰ってくるんだ。あまり長い間は付き合ってやれんが、それでも構わないならな」 「そうなの?それで私についてきたくなかったんだ」 ちょっとしょんぼりしたが、次の言葉は明るかった。 「また頼むね」 「・・・・・・・・・・・・・」 ・・・はあ、と内心思っても口にはださない。 頼むと言うのは私の兄のことで、尚はお兄と、兄貴と、兄さんが気に入っているのだ。なんでこんなに同じことを三回もいったかというと、それぞれ上からそう私が読んでいて、誰を呼んでいるのかすぐに分かるようにしているからだ。尚はお兄達のことが気に入っていて何かあれば連れてくるようにといつも言っているのだ。 「そろそろあきらめてくれよ。大変なのはいつも私に回ってくるんだからな。帰るぞ」 「あっ。まってよう」 その日の夜、夕飯時に樹斗は尚の家に泊まるといって出て行った。久しぶりに帰ってきたお兄はなんだかめずらしく黙り込んでいたが、出かけるときには声をかけてくれた。 「ああ、出掛けるの。せっかく帰ってきたのに。遅いから気をつけてくれぐれも騒ぎを起こさないで、それから変な人にはついていかないこと。それから・・・・・・」 などと随分長引きそうだった話も、 「そんなに説教たれなくても大丈夫だろ。お前も過保護だな」 と父に言われて困っているいつものお兄の顔を見た。 三男の兄貴は「たまには家で食えよ」だった。このごろ出掛けてばかりだったからな。次男の兄さんは、今受験生を卒業して大学に入ったのはいいけど、真面目だから大学にこもって勉強してる。たまには家に帰ってきて欲しいものだ。 親は何もとやかく言わず「尚ちゃんに迷惑かけないようにね」と言って、お小遣いをくれた。お小遣いをくれるということは一日分の食費。やはり今日は泊まりに行くことになりそうだ。言い訳ももう少し考えたほうがよかったのだろうか。 樹斗は出掛ける時お兄の部屋に兄貴が入るのを見た。だが特に気にすることもなく、さっさと出掛けた。 * * * 「紅兄、また行く気なのかよ。そろそろ御守も考え直したほうがいいんじゃないの?俺らだってもう高校生だぜ?」 紅兄とはすなわちお兄であり、冴川家の長男である。長身で髪が長く昔からよく女の人に間違われている。落ち着いてやさしそうな雰囲気に包まれているが、黒い目に時折見える紅い光がなんとなく挑戦的、時には好戦的にも見られ、よくけんかをしたらしい。父にも言われたとおり過保護なお兄はいつも私たちについてくる。もとい・・・見ていてくれる。ちょうどお兄が帰ってくる時に限って皆が出掛けるのでさびしいからかもしれない。 性格は、兄貴が生まれたときに名前を「緑の蒼の様に力強く生きて欲しいから蒼にしましょう」と言ってつけたらしいが、紅は「そうだね。全部がうそではないにしろ、ただ単にお尻が蒼かっただけかもよ」とつまらないジョークをいったそうである。あまり関心は出来ないがこの会話からして、紅という人物が大体わかるような気がする。 「いや。今回はいやな予感がしたから」 「そんなこと、毎回聞いてるんだけど」 あきれたように言う蒼は、とにかく目の前で出掛ける準備をしている人物をいじめてやろうと思っていた。だが、その人物は蒼の兄でありそう簡単にはのってこないのである。「毎回なんで俺にいいわけするの?」 「別にそんなつもりじゃないんだけどね」 蒼は三男で、兄貴と呼ばれている。 紅ほど高くはないが、蒼も結構背が高い。やはり家系か、そんなに筋肉はついていないように見えるが、そう見えるだけで結構ついている。蒼の特徴は上の兄たちに比べ元気でよく減らず口を言っている。意地悪で乱暴だが何故か憎めないといったところか。多分本当は優しいからだろう。蒼も、紅のようによくけんかをしていたが、紅とは違い売られたのではなく売っているのだ。 「俺についてきて欲しいんだったらそういえば?」 向けた目は意地悪だった。まだ蒼はこりていなかったのだが紅は無視した。 「蒼も樹斗が心配なんだね」 勝手に決めないで欲しい。それは誤解だ。と蒼は思った。別に樹斗なんか心配じゃない。紅兄のほうが何かとここら辺では目に付くだろう。結局は自分もいくのだが、ついてこいとはっきり言ってくれたほうが行く気になるじゃんか。と思うのである。 ふさふさした堅い髪に指を絡ませて、蒼が思い通りにいかないとすぐする癖を見て、紅は薄く笑ってかえした。 「さ、行こう」 お兄たちと会ったのは私が家を出てから五分後くらいだった。何故かついてくるお兄たちを見つけて、不思議な気分になった。ついでに助かったとも思った。尚に頼むと言われていたのを思い出したのだ。だが口に出しては言わず、 「なんで着いてくるんだ?」 と、口にした。兄貴はお兄をみてため息を吐いていたが、お兄は顔の表情一つ変えず、「なんだかいやな予感がしてね」と遠くの方を見ていて今回もあまり良いことはなさそうだと思った。 まだ尚との待ち合わせ場所にはついていない。その場所は家をでて東にまっすぐだったので、目のいい兄貴が私を見つけて追いかけてきたのだろう。 そもそも、尚との待ち合わせ場所はかなり変わっていて、お兄はともかく兄貴が何かと愚痴っている。 「尚っていうやつは俺たちをいじめるのが好きなんだな」 「なんでそう決めてかかる。兄貴がそこまで言うのには驚いたぞ。何が気に入らないんだ?」 珍しい兄貴の愚痴に興味を持った。 「樹斗知らないのか?あそこはよくお化けがでるっていうぜ。お前そういうの嫌いだろう?」 よくよく親切な兄たちは、私の気なんか無視して話を続けた。 「そういえばそんな話もあったかな。随分前のことだったね」 とのんびり口調でお兄がいう。 「そうなんだけどよ。最近見たやつが多いんだ。きっと俺たちにその幽霊を紹介してくれるんだぜ」 「絶対にでるぜ」と蒼がまくしたてる。樹斗はげんなりとした面持ちでとぼとぼと歩く。 尚が私の嫌いなものをまずあげるならお化けとか、幽霊とかそのあたりだろう。そんなに嫌がらせをした覚えはないはずだったが・・・。 「私が驚くと思っているのか」 と強がってしまう樹斗だった。 「驚くだろうよ。キャーとはいわなくても硬直するぐらいはなるんじゃねえか」 兄貴が面白そうに目をキラキラさせているのは間違いないとして、お兄はというと 「まあ、尚ちゃんはそれが楽しくて僕たちを呼んでいるんだから。しかたないね」 ・・・お兄の顔が引きつっている。めずらしい。何せ、尚はお兄をたちをとことんつけまわしては迷惑をかけているのだ。尚本人は、もしかしたら迷惑がられていることに気がついていないかもしれない。あくまでも「かも」だが。お兄にとってはやっぱり迷惑だったのだろう。 「それにしても悪趣味だな。何を考えてんだかよっト」 そう言いながら兄貴はそこらに落ちていた空き缶を蹴った。 * * * 尚との待ち合わせ場所にその空き缶は消えていった。その場所は周りよりも暗かったがそこまでいやな場所ではなかった。ただ異様な雰囲気で、お兄は何かを警戒したようだったが、よく知っている声がしたら、いつもの優しそうなお兄の顔に戻った。 「こんばんわ。こんな遅くに誘って悪いと思ったけど、私この時間しか空いてなくて」 白々しいことこの上なしだな。と蒼は思った。 「別にかまわないですよ。それより」 「それより?」 「なぜこんな所に僕たちを呼んだりしたのかなって」 何故そんな事を聞くのだろうと奇妙に思った。兄たちには尚に誘うように言われたことをいっていないのだが・・・。だがそう思ったのもそんなに長い時間ではなかった。周りにちょっとした変化が見られたからだ。それは黒い服を着たじ10人くらいの人だかりだった。 「ちょっと樹斗を紹介して欲しいって言う人がいて、相談に乗っただけよ」 そういう尚も予定外だったらしく、声がふるえている。 「それがあいつらか?」 樹斗の言葉はいつもと代わらず淡々としたものだったが、それがいやに低い声だったので、尚をこの人物を本気で怒らせたことに気づいた。 「違うわよ!相談に乗ったのは一人だったもん」 「私は騙されるのが大嫌いだ。だが、このまま帰るのも嫌だから尚の家に行ってお茶をもらおうかな」 そういうと、尚の手を取って「あとはよろしく」とさっさとこの場を退場してしまった樹斗は、尚の家のほうに向かった。つまり樹斗はこの場を退場することに成功したのだ。 問題なのは残されたほうであって、紅と蒼は互いに顔をみあわせてからこんな会話をした。 「やっぱりろくな事ねえじゃん」 「そうだね、もう少し危険性のないことを望んでたんだけど」 蒼は気づいた。紅はいたって平常だが瞳が紅くなってきている。紅に危険がせまると頭よりもまず全身で感じるらしい。 「あれ、俺あいつら知ってる」 「僕の知り合いもいるみたいだ。こんなとこに呼び出して何をするつもりだったんだか」 ここまでで二人の会話はストップした。黒い服を着た10人の人だかりが彼らを囲ったからだ。そのリーダーらしき人物が声をかけてきた。 「今日もまたさっさと帰ったと思ったら、こんなところで何してるんだ?」 随分と明るい調子でまるで仲の良い友達に話すようだったが、実際そういえなくもない相手かもしれない。やや痩せ気味の長身で、少し伸びた茶色の髪が方にかかっている。なかなかの美形で目を見張るものがある。そんなに悪いやつではなさそうなのだが、なんだか調子の狂う人だ。この場合、そんな事を考えていても仕方ないかもしれなかった。 「それはこっちのセリフだよ拓也」 紅の方は瞳が完璧に紅くなっている。蒼に言わせると何を言っても怒らせるだけだろうといったところか。 「つれないな。俺とはいつも夜を過ごす仲じゃないか」 「ふざけないでくれよ拓也。蒼に変な目でみられるだろう。ただの同僚だ。それで樹斗に何の用があったんだ?」 一瞬きょとんとした拓也は、はっはーんと今度は笑顔で応える。 「ふーん。尚ちゃんに話を聞いたのかな」 「誰かの相談にのったといっていたからちょっと考えていたんだ。この中に樹斗のことを知っているのは拓也だけだからね。暴力でくるなら、こっちも手加減する気はないよ」 にっこりと応えているが目は笑っていない。紅の顔がやけに冷たい印象を放つ。 拓也は「はぁ」とため息をついた。 「何か誤解してないか。もっと大人しい奴かと思ってたんだけどな」 「だったらこの周りにいる人たちは何なんだ。」 拓也は合図をしてみんなに下がってもらう。 「何か誤解しているようだが、俺は冴川樹斗に用があるんだ。大事な用なんだから邪魔しないでくれ」 「大事な用なら一人で会えばいいだろう。」 紅の様子にしかたがないと拓也が動く。 「それじゃ今回の目的が果たせないんでね。」 ・・・ふと気づいてしまった。 不適な笑みを浮かべていた拓也の表情が驚きで瞳は大きく開かれあいた口がふさがらなくなる。 ・・・紅の瞳が紅くなっていた。 「その瞳・・・。女の子だとばかり思っていたのだけれど・・・」 思考がつぶやきになってしまった拓也に紅が戸惑う。 「何のことだ?」 紅の一言はもっともだったが拓也は思考がしばらく固まってしまい即答できずにいる。 ・・・今まで4年間同じ部屋にいたのに気づかなかった。ただ怒っているときもこの瞳にはならなかった。それに大学でケンカなんてしないしな。 「なるほど」と苦笑する拓也に紅はさらに戸惑う。 その隙を突いて紅から眼鏡をすばやく取ると、紅の首に手を当てて耳元でささやいてみせる。 「いや。もっと早くこうしていればよかったと思ってね・・・」 今までにない極上の笑顔で拓也がいう。紅は一瞬のことで驚いたが拓也を睨み返して言う。 「眼鏡返してくれないか。それがないとほとんど見えないんだ」 「知ってる。当分これはもらっとくよ」 意地悪に行ってくる拓也に紅は一瞬殴るところだったが、眼鏡をおとされたらたまらないので話しをもどすことにした。 「樹斗に何の用があるんだよ拓也」 「別に。それはもういいよ。それより・・・そんな他人を心配する余裕はどこにあるんだ」 言いながら紅の鳩尾にパンチを送る。拓也の腕にもたれかかった状態になった紅はそのまま気を失ってしまった。 青ざめたのは、紅本人ではなくて蒼だった。 「てめえ。わけわかんねえことばかり言って、いきなり何しやがる!紅兄に手を出すな!」 言うが早いか拓也を蹴りつけていた。 「何しやがるだって?それはこっちのセリフだ」 倒れた紅を抱えながら蒼に殴りかかる。こうなると後はただの乱闘になり、蒼の得意とする分野で拓也は戦わないといけなかった。 まず黒い服を着た連中だが、やはりそこら辺から集めたちんぴらといった感じのものたちばかりで、蒼の相手にはならなかった。蒼はしょっちゅうケンカをしているため、大体相手の力量が分かるようになっていた。つまりそれだけ強く、ましてちんぴらとはよくけんかをしているから顔見知りの奴もそう少なくはない。 「よう。またあったな。今回は遠慮しないでいかせてもらうぜ」 これは悪魔のささやきよりもたちの悪い言葉だったかもしれない。重圧感のある声で危ない危険な目がちらつく。黒い服を着た中の一人がおびえたようにつぶやく。 「まさか刻の森高校のあの危険な野郎か」 「危険な野郎とはなんだ」 そういうとまず手前に立っていた男を軽々となげ、その後ろにいた男におもいきりぶつける。そうしたと思ったら、その投げた奴らを踏み越えて三人目の顔に向かって、足をそろえる。そのまま足は顔面に直撃して着地を済ませると四人目の足を払い、飛び掛ってくる五人目の男の顔を持つと四人目の男の顔に容赦なくぶつけた。 ここまでくると立ち尽くして呆然とその光景をながめている奴らが残った。それもそうである。これだけのことをするのにかけた時間は、約5秒という短い時間だったのだから。それも、やられたほうは気を失ってしまっている。 「まったく。手を出すつもりはなかったのに。紅の弟君か。困ったもんだ。」 拓也の声が少し聞き取りにくくかんじた。周りの黒い服を着た連中は逃げ出してしまっている。 拓也は殴りかかった。蒼は顔の前に奇妙な光が走るのを見た。 蒼は拓也の腕にはめているものをすぐに見つけた。ナックルだ。 「拓也とかいったっけ。そんなもん着けて紅兄の鳩尾にいれたのか」 言いながらナックルをつけた手を押さえる。 「そんな器用なことできる分けないだろう。紅の鳩尾にいれたのは右。着けてるのは左だ」 拓也は静かにそう答えると、右から顔面に向けて鋭く蹴りつけようとする。だが蒼はそれを少し後ろに状態を寄せてかわす。反撃はきついものだった。蹴りつけようとしていたところに蒼の蹴りがまともにあたる。 「くっ!」 立っていられなくなって、思わず崩れた拓也に向かって言う。 「あんた、紅兄に手加減したの?」 「悪いか?」 「ふーん・・・」 そこで少し間があったが、蒼が紅を起こしに行った。周りにはもう拓也しかいない。 「完璧に参ってるなこりゃ。どうしてくれんだよ。こんな大男、俺一人で運べっての?そりゃひでえんじゃねえ」 たたいても起きない紅に向かって愚痴を言う。それだけくらったのか、それとも疲れがたまっててくらったのをいいことに寝てるのか判断がつかないところだ。どっちにしろ運ばないといけないから・・・・・・。 「紅は軽いよ」 「知った風にぬかして、あんたがやったんだろう」 なんだ怒ってんのかな。などと軽く考えて、拓也はこれからどうしようか考えた。 ・・・紅い瞳をもっているのは冴川樹斗だと思っていたがどうやら4年間一緒に過ごした紅だったようだ。 ・・・女の子だと思ってたのにな・・・本当に残念だ。今頃かわいく育ってると思っていたのに・・・。 そんな拓也はもう眼中にないらしく、紅を背負ってさっさと歩きだしてしまった蒼を見て、拓也はおもむろに言った。 「なあ。蒼君。僕も連れてってくれないか」 蒼の足が止まる。 「何考えてんだあんた」 「いや。今回のことは悪いことをしたが・・・もうこれ以上そちらに危害を加えるつもりはないよ。背負っていくなら大学寮につれてくのは俺の仕事かと思って。」 何をいいだすんだこいつ。と内心で考えるよりも顔に出てしまったらしく、拓也に突っ込まれる。 「何言ってんだって思っただろう」 「ふん・・・紅は俺が運ぶ。・・・それより、あんたよく動けたな。俺のくらってそんなに動けた奴はめずらしいぜ」 「それはすごいな」 特に感心したようでもなく紅の方を見る。 「ずいぶんとかわいらしい寝顔だことで。」 そういうとおでこにでこピンする。紅は何か口を動かしたようだったが声は聞こえてこなかった。 「紅兄にちょっかい出すと後が怖いぜ。何しろ、樹斗のお兄好きは天下一品だからな」 そんなに悪いやつではなさそうだと蒼は拓也と普通に接する。 「なんだかそれだとその樹斗ちゃんに殺されそうだね」 「あんがいありえるかもよ」 拓也は蒼の顔を見たが、それがマジなので冷や汗が出る思いだった。 「それは・・・紅にたのむしかないかな」 思いっきりため息を吐いて紅を見ると後は蒼について歩いていった。 そのまま3人は家に着いた。「ただいま」と蒼が言うと洗物の音がやみ、蛇口をきゅっと絞った音がすると廊下左の扉が開き、台所からエプロンで手を拭いている母がでてきた。廊下の向こう側正面には居間があり父が新聞を読んでいる。 「あらあら。紅ちゃんどうしちゃったの?」 紅は蒼におぶられて意識がないのは一目瞭然だった。こんな状態なのに母はのんびりと構えている。冴川家では紅がのびていることはめずらしいことではなかった為免疫ができてしまっているのだ。だから蒼も 「またいつもの。しばらく寝かせといてやってくれる?」 「まぁ。しょうがない子ねぇ。そちらは?」 母がいっているのは拓也のことだった。蒼が紹介する。 「紅兄の大学の同僚だって。拓也さん」 「はじめまして。いつも紅にはお世話になっております」 とびっきりの笑顔をふりまく拓也に母はまぁまぁまぁとうれしそうに応える。 「随分と綺麗なかたねぇ。こちらこそいつも紅がお世話になって、あら私ったら、どうぞおあがりくださいな」 そういってスリッパを置くと「蒼ちゃん。紅ちゃんを運んだらちょっといらっしゃい。」といって居間に戻っていった。 蒼は母の一言に頭をかくと「はぁ」とため息をつく。拓也に「こっち」と手招きすると紅をおぶさりながら玄関横の階段を登り二階の部屋まで運んだ。鍵が閉まっていて紅の部屋に入ることが出来ないため、まず紅を自分のベットに寝かせ、ついでに拓也を部屋にいれると「紅兄は頼んだぜ」と言って母のもとに向かった。 「頼むといわれてもなあ」 散らかった部屋に何とか座れる場所を確保して拓也はそうつぶやいた。窓から外の様子を見たかったが、紅の寝ているベットで邪魔されているしテレビもなければお菓子もない。話し相手はぐっすりお休みのようで当分起きそうになかった。 「つまんないねえ。何かないのかよ」 部屋を見渡す限りあるのは教科書のしまい忘れと、宿題のやりかけ。それとわけの分からない紙くずだ。壁にはとくにたいしたことのない大きな世界地図がはってあって、隣の部屋に繋がる壁の方には机が置いてある。ほとんど物置の状態になっていて、実際に使っているのは小さくも大きくもないちょうどいい、四角いテーブルのようだ。鞄もクッションも適当に放り投げたといった感じでいかにもさきほどの蒼が使っていると言った感じだ。残念ながら遊びで使うようなものはなく、拓也に言わせると何もないということになる。「俺にここにいろってか・・・」 紅の寝ているベットに座り寝顔をみる。 「さっさと起きろよ。ねぼすけ」 いいながら紅のおでこをつんつんとつつく。すると紅が少しうなってそっぽを向いた。 拓也はなんだか妙に落ち着いてしまったので紅から取った眼鏡を玩んでいた。 下の階から声が聞こえてくる。どうやら今回のことでちょっぴり絞られているらしい。居間の扉だろうか、扉が開く音がした後階段を登ってくる音がして蒼が部屋に戻ってきた。すぐにまたジャケットをきると 「わりぃ。俺の部屋なんもないから。その辺の雑誌適当に読んでて。おふくろに樹斗を迎えにいってこいっていわれちゃったんで、しばらくここにいて紅をみてやってくれる?」「はい?」 そういうと拓也の返事を待たずにまたバタバタと階段を下りる音がして「いってきます」とさっさと出て行ってしまった。 「あ・・・おい?」 とすでにその返答を聞く人は外にでてしまったわけで・・・。 「どうしろっていうんだ?」 途方にくれる拓也だった。 * * * 尚の家に向かった蒼は思いがけないものを見た。それは空中でなにやらゆらゆらゆれていて、その向こうが透き通ってみえるのだ。顔は女か男かわからない人間のもので、世間では幽霊といって通じるものだ。 蒼は一瞬立ち止まってその幽霊らしきものを見る。しばらくにらみあいをすると、幽霊らしきものが頭のほうから消えていった。いなくなったと思ってほっと息を吐いた次の瞬間、蒼は頭を思い切り殴られたような衝撃にかられ倒れてしまった。その後目を覚ました蒼は目がうつろになり何か朦朧とした様子でゆっくりと歩き始めた。向かっている先は尚の家、喫茶店「トメリカ」だった。 樹に囲まれた喫茶店「トメリカ」は泥棒が入りやすい。樹をつたって二回の窓から入ってこれるからだ。蒼は軽々と樹を登ると二階の窓を開けてさっさと部屋に入ってしまった。音を立てずに静かにしていると三階のほうから樹斗と尚の声が聞こえてきた。 「やっぱりここの紅茶はおいしいな」 「ありがとう。でも言っとくけど、騙されたのは私だって同じなんだからお互い様よ。向こうが上手だったのよ。ねえ。次は私たちが仕返ししない?」 「何かいいアイデアはないかな」とうれしそうに話してくる尚をよそ目にゆっくりと紅茶を飲んでいる樹斗は、なんとなく嫌な予感と寒気がした。 「尚・・・何か・・・・・・」 言ってる間に扉が開け放たれ、蒼が飛び込んで樹斗に殴りかかる。 反射的に拳を押さえた樹斗は殴ってきた相手が誰だか気づいた。 「あ・・・兄貴!?」 殴りかかってきた蒼に足を引っ掛けて寝かせると、その上にのって押さえ込む。暴れる蒼に肘鉄を食らわせると、髪に何か大きな白いものがついているのに気がついた。 「きゃー。なんなの!?」 「兄貴?・・・・・・」 尚がパニックを起こしている。気を失った蒼の様子を見る為に額に手を当てた樹斗は、何か白い霧のようなものが出ていることに気づいた。その霧がそのまま樹斗にからみつき、きつく絡み付いてくる。だがその様子は尚には見えていない。 「樹斗。・・・これって噂なんだけど、幽霊見たって言う人は霧に包まれてしばらく何があったのか思い出せないんだって・・・蒼さんもそうなのかな?」 キョロキョロト落ち着かないしぐさで神妙に言う尚に、樹斗は声をしぼりだした。 「尚・・・逃げ・・・」 白い霧に包まれた樹斗の声が途絶えた。 霧が消える頃には尚と蒼が残されて、樹斗の姿はなかった。 * * * 「樹斗?・・・どこに行ったの?」 空しく尚の声が響いた。このままでは何が何だか分からない。 寝ている蒼を無理やり起こそうとする。 「蒼さん!樹斗が消えたのに何寝てるんですか!」 寝かせたのは樹斗なのだが、そんなことを気にしている場合ではない。 蒼は「うぅ・・・」と頭を抑えながらゆっくりと起きた。 「・・・ここは?」 ・・・確か家をでて外をを歩いていたはずだが・・・と思っていると尚がもう攻撃を仕掛けてきた。 「樹斗よ。樹斗が消えちゃったのよ!」 刻の森高校のあの冴川蒼の胸倉をつかんで騒ぎ始める。これには蒼もたじろくしかない・・・が 「何だって!?」 樹斗が消えたというのではこうしてはいられない。 言いながら部屋を見渡す。 「どこに消えたって」 「だから消えたんだってば」 話が通じていない・・・しばらく無言だったが、尚が落ち着くのを待って蒼が話しかけた。 「どういうことなんだ」 「どうもこうも私が知りたいくらいです。」 そういいながら尚はさっき起きた出来事を言うと、蒼は「邪魔したな」というとすぐに走り出す。 向かう先は自分の家である。 蒼が不思議なことになっている間にその向かっている先の家のほうでは拓也が紅につられてうとうとと寝ていた。拓也がベットを占領し始めたころ紅が目を覚ました。いつもと違う部屋の景色に一瞬ここはどこだろうかと考えたが、見慣れたポスターを見つけ蒼の部屋だとわかる。何故こんなところで寝ているのか・・・・・・と思いつつも自分の部屋に戻ろうと 起き上がろうとしたところで拓也が上に乗っかっていることに気づいた。 ・・・一体なにがどうなってるんだ・・・ 心地よさそうに寝ている拓也をどかそうと思ったのだがなかなか重たい。どうにかどかそうとしているとふと何か冷たいものが側を横切った気がした。周りを寝ぼけた顔で見回すとなにやら白っぽいものが揺れていたのだが、目が悪くてぼやけているのだろうと思ってそのまま何事もなかったかのように再び拓也を起こしにかかる。その時拓也が急に起きた。 「紅、俺から離れるなよ。」 そういうと拓也を起こそうとしていた紅をベッドに押さえつける。 「なっ!?」 「静かにしてろ。お前見えてないだろ」 「何のことだ!?」 「今そこに何かいるだろが」 拓也の言うとおり部屋は白い霧で覆われはじめていた。 「拓也・・・・・・何故君がここに。それにベットにいるのも良く分からないんだが・・・」 「今はそんな事言ってる場合じゃないだろ。この霧なんだかおかしいだろ」 「霧?別にみえないよ」 紅は状況が行く分かっていないようだった。 「そろそろ自分の部屋に戻りたいんだ。この手を離してくれないか。苦しい」 「お前・・・。このまま襲うぞ。」 「な!?」 何を言っているんだと紅が一瞬固まると「そのまんまじっとしてろ」とまたベッドに押し込まれる。 しばらくそのまま周囲をうかがっていたが何も変化はない。 拓也はしばらく紅を押さえていたがふと紅の瞳が紅くなったように感じた。その瞬間紅の周りを包んで、一瞬にして姿が見えなくなるほどの濃い霧があたりに散る。 「紅!」 拓也が気づいたときには紅の意識はすでにないようだった。徐々に拓也にも白い霧がまとわりついてくる。身体を動かそうとしてもしびれてきて動かない。どうやら白い霧に捕まってしまったようだ。 「ちっくしょ・・・」 何とかそれだけ言うことができたが今にも気を失ってしまいそうだった。だがそれもほんの少しの間だけだった。蒼が帰ってきたのである。 部屋の入り口に蒼の姿が見えたかと思うと 「幽霊やろう!紅兄にも手を出しやがって!」 叫ぶと紅の方に向かう。そのとき奇妙なことが起こった。白かったきりが紅くなったのである。それも激しく燃えるように。だが炎でもなく「気」というものに当てはまるのだろう。触っても平気だが風が取り巻いて近くによることができない。 蒼はただ呆然とその光景を眺めていた。紅くなった瞳をしきりに動かしてあるものを追っている紅と、その紅におわれている小さな変わった生き物を。 紅とその変わった生き物は、互いに「気」らしいもので張り合っていた。紅はいつもとは何か違い、さめた表情で相手を見下ろしている。そして変わった生き物の方は、口を動かして何か唱えている。 小さい身体にかわいらしい手足。二頭身のためだろうかほとんど目と口だけしか見ることができない。それでもこんな小さいのが霧を操っていたのは確かだろう。 小さい生き物から青緑の変わったツタがでてきた。それはくねくねと目標をしだすように動いていたと思うと、講に向かって鋭く伸び始めた。さっきとは打って変わり、くねくねなどと生易しいものではなく、金属物のように堅くなっているようだった。 光波自分に向かって伸びたツタを軽くよけるとそのツタを紅い「気」で燃やして今度は鳥を出すと変わった生き物にむけて放った。 部屋中が紅くなり紅と変わった生き物が戦っている間に気を失っていた拓也の姿が霧の中からでてきた。蒼は紅と変わった生き物の戦いを見るのを一時中断して、拓也を助け起こした。 拓也は意識はあるのだがしびれて動けないでいるので、そのまま放っておくこともできず蒼は拓也をかばうようにしてしゃがんだ。 紅たちはそろそろ決着が着きそうだった。変わった生き物の周りにさっきの紅い鳥が包むようにして奮然と飛んでいる。この状況で動くことは難しい。 少し時間が経ってそろそろ終わりかと思った時、代わった生き物の姿が変わり始めた。身体が一回り、大きくなったようだった。気のせいではなく実際に大きくなっていて、その形もなにやら変わってきた。 「人だったのか・・・・・・それとも・・・子供?」 蒼はつぶやいた。 普通ならとっくに気絶していただろうが、そうすることはできなかった。そんな余裕はなかったからだ。拓也の安全を確保して紅の助けになろうと考えていて、どうすればそんなたいそうなことができるのだろうと集中していたので、状況の変化がわかった。 蒼の言ったとおりに確かに人だった。紅の放った鳥にしめられて姿がはっきり分からないが、確かに人の形をしていた。 紅は気づいていないようだ。目の紅さは、炎のように紅い「気」のせいか、いつにもまして紅いようにおもわれる。そんな紅を見て蒼は何かおかしいと思った。何か不自然な感じがするのだ。 紅を観察でもするように身長に見ていて、その不思議な感じがしたわけを探そうとする。 ふいに蒼の腕を誰かがつかんだ。拓也だった。 「悪いけどちょっと起こしてくれないか。力がでないんだ」 蒼に頼むと起き上がろうと努力する。 「大丈夫か?」 拓也を起こしてやると、また紅の法を向いて観察し始める。卓也はこの状況を見て一瞬沈黙したが鋭いことを言った。 「紅の奴、どうしたんだ。立ったまま気絶しているのか?」 「それだ!」 そう叫ぶと紅に向かって飛びついた。 「紅兄起きろ!でないと樹斗に殴られるぞ!」 拓也はあっけに取られていた。蒼は真面目だったのだが。紅は蒼に飛びつかれたため体勢を崩し、そのまま目を閉じるといきなり我に返ったように起きた。 「今何時?」 そういった紅をみて蒼は安心したのだが拓也は笑いをこらえていた。「樹斗に殴られるぞ」という一言で起きたと思ったら「今何時」とは、笑うしかないではないか。 「拓也か?そこにいるのは。なんでうちにいるんだ?」 「さっきも言ったが…別にいいだろ俺がいても。それよりそこの奴にも聞かないのか?」拓也が言ったのはさっきの子供がまだ部屋にいたからだ。 「?………誰かいるのか?」 「………」 先ほどの子供は無表情というよりは怒っているようだった。それもそうだ。散々さっき戦っていたのにいきなり態度が変わったのだから。髪の色が薄く、身体全体そんなに目立たない格好で、顔を髪が覆っていて表情が良く分からない。ついでに言うと雰囲気も代わっており性別もわかりにくい。 「覚えてないのか?紅兄。さっきそいつとやりあってたんだぜ」 「何を言っているんだ。拓也がいるのは分かったが、まだ誰かいるのか?」 この驚きようからして覚えていないだろう。紅は昔からけんかを売られたとき、売られたのは覚えているけどその後どうなったのかは覚えていなくて、それなのに樹斗以外には何故か勝っていたのだ。 「もしかして、これがないから見えないとか?」 拓也が思い出したように眼鏡を取り出して紅にかけてやる。 「おい拓也。いつの間に取ったんだ?」 「さっきのようにけんかするのか?紅」 「はぐらかすなよ」 紅は怒ったようだった。だが拓也はそれを無視した。 「もう一度聞くぞ。きをうしなったままけんかするのか?」 紅だけではなく、拓也も気が短い方らしい。 「覚えてないんだけど……」 「そうか・・・」 変わった生き物だったと思ったら人間のようだ。その「子供」は何か思い出したようにしてはじめに沈黙を破った。 「蒼さんでしたっけ?あなた、お兄さんのこと大切にするのはいいですが、けんかはほどほどにしてはどうです」 部屋にいた三人はいきなりしゃべった得体の知れない子供をまじまじとみた。蒼なんかは奮然としている。話しかけたのは紅だった。 「君。いつからそこにいたんだい?」 * * * 緊張感が一気に吹き飛んだ。 「紅兄!さっきからいたじゃないか」 「天然だな・・・」 拓也まで反論してきたので紅はたじたじと引いてしまう。 先ほどまでの反論は無視していう。 「・・・誰の知り合いだ?変わった子だね」 「そうだろう。けど皆知り合いじゃないぜ」 それを聞いて紅は少し慎重になったようだった。向き直って「変わった子」にはなしかける。 「君は一体なんでここにいるんだい?」 落ち着いた声だった。興味がわいて聞いたというようよりは事務的に発したもののようだった。聞かれたほうは時に答えるつもりはなさそうだったが、少し変わったことを言ってきた。拓也などは面白くなさそうに欠伸をしている。 「あるものをもって帰らないといけないんです。でないと帰れない」 「何だかお困りのようだが、そのある物っていうのは?」 真面目くさって拓也は一言返してそのまま自分の言った言葉が気に入らなかったらしく、そっぽを向いてしまう。紅はそれを真面目に聞いていたが、蒼は何を言っているのか分からず、拓也と話し始めた。 「一体何のことだと思う?拓也さん」 「そんなことより気になるんだが、あいつ女か?男か?」 「本人に聞けばいいじゃないか」 「男だったら俺殴るから」 「・・・・・・」 本気で言っているようだった。だが、拓也は確かに殴ってもそれだけのことをされているので、文句は言わせないだろう。 さきほどの子供が紅を見返していった。 「あるものを渡してくれません?」 「それは物によるね」 「そうですか」 機械的に言ってなにやら壁の方に歩く。 「どこに行くんだい?」 何か嫌な予感が胸の中で騒ぎ始める。表情にはださないが、紅は警戒していた。 「実はどこにあるのか知っているのですが、家のものの許可を取った方がいいと思いまして、ちょっかいを出したのですが、許可を出してもらえそうにないので盗むことにします」 落ち着いて答えているが、内容は過激であった。 「それはもしかして……」 「着いてくれば分かりますよ。着いてこれるかは分かりませんけど。」 壁の中に入っていくようにして進むのを見て、拓也以外は驚いて、そのまま座り込んでしまった。 「だらしない。それであいつに追いつくのは無理だな」 「蒼急いでくれ」 拓也に叱咤されて蒼と紅は部屋をでた。 この家で何か盗むというのなら多分日本刀「乱丸」だろう。 ・・・だが、乱丸のある屋根裏部屋に行くには鍵が必要だ。 「俺も混ぜてくれ。」 ……宝を先取りされたんではたまらんからな。 紅は拓也の心中に気づくはずもなかった。 拓也は二人についていくようにして、そっと近道をした。 拓也も壁をすり抜けていた。 宝を見つけた先ほどの子供をすり抜けてその前に出ると紅や蒼の前ではなすときとは違い、何か奇妙な印象を与えた。それは恐ろしく冷たい捕らえようのない表情であった。 「……おまえはいったい」 あと一歩踏み出して手を伸ばせば目的のものに触れることが出来た。だが、いきなり目の前に現れて邪魔をするものがいた。 その目を見た瞬間に恐怖が襲ってくる。何か引っかかる。この顔は始めてみたのもだったか?いや、以前にもこの顔を見たことがあったはずだ。記憶回路を探ってみるがどうも霧がかっていて分からない。 「小僧、いやお嬢ちゃんかな。それをとって何をするつもりだったんだ?」 冷たい風が急に吹いてきたようだった。小僧とかお嬢ちゃんとか呼ばれて怒りがこみ上げる前に、圧倒され惨めな自分が、今ここでなにをしようとしていたのかすらも忘れかけていた。だが、あくまでも忘れたわけではない。 「私はこれをもって君主の元に帰る。それだけだ!」 声が震えていたが身体は震えていなかった。目の前に立っている人物に少しでも弱みを見せてはいけないと思ったからこその努力だったのだが、完全に成功したとはいえなかった。そんな子供を前にして、拓也は「少しは役にたつかもしれない」と評価した。 「誰に仕えているのかは知らないが、それは俺も狙っていたんでね。もって行かれると困るんだ」 「それは私には関係ないことだ。そこをどいてもらおうか」 神経を集中させ、相手の動きを見る。だが、この場ではどうしても不利だった。目的のものの近くにいる拓也は自分を無視して目当てのものを持っていきかねないのだ。 そんな自分を知ってかしらずか、いや知っているだろうが、面白そうに冷たい表情でこっちを見ている。 と、いきなり拓也の手が動いて自分の額に拓也の右手人指し指が刺さった。何かを植えつけられたようにミシッと音がした。 「きさま、私に何をした!」 勢いよく言ったところに蒼が駆けつけた。 「てめえ!人をおちょくりやがって!」 言うが早いか取り押さえにかかる。いきなり現れた蒼は不意をついたといえるだろう。この時拓也と蒼は向かい合わせになった。 * * * 「どうしてあんたが俺よりも先にこの部屋にいるんだ?」 蒼は途中で拓也が消えたことに気づいていなかった。拓也はちょうど良いとばかりに、 「さてね。紅がくるまで押さえていてくれよ」 などという。その表情は元に戻っていた。 「蒼!無事か?」 紅がそのあとを追って入ってくる。 「紅」 紅に声をかけた拓也はまるで別れの挨拶でもするかのようだった。 紅は不思議に思いながらも事務的なことを伝える。 「拓也。その刀に触ったりしたら恐ろしいことが起こる。早く離れて」 「それはできない」 そういうと刀を持ち、「じゃあ」と壁に向かって走るとそのまま消えてしまった。 紅は立ち尽くすしかなかった。しばらく沈黙していたがやがてこんなことを言う。 「拓也。僕の言ったことの意味が分かっていてあんなことしたのかな」 「分かっていたからしたんじゃないか。って……そんな事言ってる場合じゃないだろ」 さきほどの子供を抑えながらあきれた声で蒼が答える。 「蒼。これから拓也を迎えにいってきます。その子供を抑えておいて。あとで聞きたいことがあるから。何か変わったことが起きたら親に知らせなさい。いいね」 まるで子共に諭すように言う。でもこういうときが一番深刻な時であることは分かるつもりである。 「分かった。といいたいが、俺もついていく。当てはあるのか?」 「心当たりなら。危ないから今回は着いてくるな。親がだめなら静司にこっちに帰ってくるようにいって。状況を伝えるように」 「どうしてもなのか?」心底心配だと顔に出ている。 「大丈夫だよ。もし何かあったら頼む」 …いいだしたら聞かないんだ紅兄は…。 「静司兄にすぐに戻るように伝えるからな」 「………しかたないね」 ・・・本当は後が怖いからなるべく静司には迷惑かけたくなかったのだけど・・・。 紅は一人で拓也を追った。 紅は家を出て思い当たる場所へ急いでいった。そこはあの樹斗の通う学校である。中庭にある小さな噴水のところに何故かいるような気がしたのだ。乱丸が教えてくれているのかもしれない。 夜遅くにバイクで校庭を駆け抜けると中庭が見えた。そこに拓也はいた。その拓也のいる場所からそんなに遠くもない場所に気を失っている樹斗もいた。 …何故樹斗がこんなところに? 拓也は噴水の中央に立っていた。水は出ていないから濡れはしない。紅はバイクから降りると会談を駆け上り噴水のところまで走る。 不思議な光景だった。拓也が「乱丸」を鞘から離した時、黒いというよりも漆黒、暗黒といった霧が刀から出てきている。一方鞘は樹斗を主人と決めたのか、まばゆい光が照らされ、何かを生み出すようであった。闇に包まれながら必死に抵抗するように光は消えなかった。 だが、それは一瞬のことだった。拓也が刀を振り、振ったあとには空間に亀裂が入ったようだった。それは電気を帯びているようだった。 「拓也!!……なんだこの亀裂は」 「紅・・・やっぱり来たな」 いつもの笑顔で拓也がいう。ふてぶてしいことこの上ない。 「早くその乱丸をしまえ。それはいたずらに振り回してはならない。危険な代物なんだ!」 「そんなに血相をかえなくてもいい。きっと俺の方がこの刀のことを知っている」 静かに応える拓也に違和感を覚える。紅はあらためて問う。 「なら何故こんなことを・・・」 「おまえの為だ・・・といったらどうする?」 目が笑っていない。互いに相手を見つめるが拓也が先にその視線をはずす。 「冗談だ。・・・この刀と妹を返して欲しかったら俺の後を追うんだな」 急に強い風が吹くと切れ目が開き、樹斗を抱えて拓也がその切れ目のなかに入ってしまった。 「拓也!!」 事態は深刻だった。風がまとわりついて髪が絡む前が見えにくくなったと思ったら眼鏡が外れてしまった。 「しまった。眼鏡が……」 はずれた眼鏡をつかむと何かに躓いた。 「!!」 もう遅かった。今や紅に光る紅の瞳も意味を成さない。 強風にあおられ紅は亀裂の中に吸い込まれるようにして入っていった。 |
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