冴川兄弟のドタバタ珍騒動 第3章 |
「やっと進みだしましたか・・・」 拓也の姿をしていながら石衷と名乗った男は、悠々と居心地によさそうな椅子にもたれかかり、モニターに写る三人を見物していた。そのそばでは、目を覚ました樹斗が無愛想にたっている。 この二人の他には、特に人影はみられない。だが、樹斗には感じられた。誰かが居る。この奥の部屋に、まだ見たことなのい知らない誰かがいることが。 「このぶんだと、早くても夕方までかかるでしょう。それにしてもすごいですね。あの紅という人物は、三日間も寝たきりで、何か薬でも飲んだのでしょうか」 薄い笑みを浮かべる。だが樹斗はその笑いがきにいらなかった。紅が馬鹿にされたようで腹が立ったのだ。 「紅は睡眠時間をためることができるんだ。あの分だと一週間くらいは寝ていなかったのだろう」 無愛想な顔で無愛想に言うと、モニターから目を離して拓也の姿をした石衷という男に話しかけた。 「そろそろ私をこんなところにつれてきた理由を聞かせてもらいたいな」 ゆっくりと腰をあげようとした石衷は、めずらしくしゃべった樹斗に目を向けた。互いに目を合わせ、しばらくそのまま動かないでいた。そこまで広いとも思えない部屋に沈黙が続く。窓もんあければクーラーもないこのやたら暑い部屋に汗一滴もたらさない二人は、沈黙をやぶろうとはしなかった。 この部屋はよくがっこうなどにみられる視聴覚室のようなところで、あるものは石衷の座っている椅子と、長いデスクくらいだ。声は響かないようにセットしてある。 二人の沈黙を破ったのは新しく入ってきたきれいなお姉さんだった。 「石衷。そのくらい話してあげてもいいんじゃない?出ないとその子何しだすかわからないわよ」 「これはこれは、榊さんではありませんか」 榊と呼ばれたお姉さんはトップモデルのような足取りで近づいてくる。 「樹斗ちゃんだっけ?連れてきた理由を教えてあげるわ」 ゆっくりと席を立った石衷の座っていた椅子に、優雅に座って話しかける。 「榊さん、あまり面白がって話しすぎると後々面倒ですよ」 うんざりといった表情で石衷は榊を見ていたが、榊はそれを一言で返した。 「そのときはよろしくね」 苦い顔をして石衷はその場を去った。榊とはあまり話していたくなかったらしい。それを知ってかしらずか、榊は「話したこときいといたほうがいいんじゃない?それこそ墓穴を掘りかねないわよ」などという。石衷はそれを聞いていたのかいなかったのか、返事をしなかった。 榊は絹で作られたような中国風の服を来て見事にできた薄い金のリングを腕につけていた。色は全体的に赤で長い黒髪が服にかかっている。 「樹斗ちゃんどうしたの?だまっちゃって」 そういわれてはっとした。石衷画そばに居たときは絶対しゃべってやるものかと口をつぐんでいたので、そのまま無口になってしまったようだった。 「別にきにしないでくれ」 「そう。じゃあお話しするわ。あなたをここに連れてきたのは沓木様のためなの」 少し間をあけて、ゆっくりと樹斗の顔を見る。 「教えてあげたわよ。実は知っているのは沓木様だけで、私たちはただ連れてこいって言われたからつれてきたのよね」 笑顔で話しかける。これははめられたかもしれない。 「それでは答えになっていないぞ・・・ないと思います。その沓木という人にあわせてくれないか・・・くれないでしょうか」 当惑したように言葉をなおしながら話す。どうもこの人にはなすとき、そのままいつものように話すことができない。なぜかかしこまってしまう。 榊はまた優しく微笑んで、 「また、一度くらいなら沓木様もお会いになってくれると思うわ」 そう言うと椅子から腰を上げ、優雅に歩き出す。 「ついていらっしゃい」 樹斗は榊の後をついて行った。 *** どうしようもなく、お花畑などを歩いている三人は、機械的にずんずん歩いていた。かわいらしい花を踏みつぶさないようにと、気を付けて歩いてはいるのだが、全部ふまないで歩くのは不可能だった。必然的に歩いた後に足跡が残ってしまう。 「この花かわいそうだぜ。この道しかなかったのかよ」 蒼が途中でそういったが、静司は仕方ないだろうといって地図を見せた。 「この花畑を通らなかったらビュオラに入ることもできないんだよ。何故か知らないけど花畑で囲まれててさ。それならこの道をまっすぐ行ってなるべく花畑をさっさと出るにこしたことはないと思うんだけど、何か意見ある?」 というわけで、ペースは速めで花畑を抜けるということになった。 口数はすくなく、歩くのに一所懸命になっている。走ったりしないのは、花が傷みやすいからだ。だいたい、三キロメートルくらいあると思われる花畑は、一度入ったら周りは全部花で、迷子になって出てこれそうにないのだが、静司が言うには、あの雲があるから迷うことはないらしい。 「この分だと二時間くらいで抜けられそうだね。今八時か。着くのは十時頃だな」 腕時計をしていた静司はそういってまた歩き始めた。 *** 「ここが沓木様のお部屋よ」 榊に案内された樹斗は、意外なまでに小さい部屋に入った。 「小さいと思った?そう、ここは沓木様のお部屋だもの」 よくわからないことを榊は言う。 「沓木様、出て来てくださいませ。この前連れてきた子にまだ挨拶をしてませんわ」 部屋の向こう側に見える扉に向かって話しかける。この部屋には豪華な椅子しかないところを見ると、応接室みたいなものか。その扉が音もなく開く。 「榊か。拓也の友人の妹だったな、お初にお目にかかる。私は沓木、ビュオラを治めるラドウ宮殿の主だ」 そう言ったのは子供だった。どことなく面影が誰かに似ている。 「まあ、立ち話もなんだな」 榊に合図を送る。榊は椅子を持ってこさせた。 「どうぞ」 感じのいい男の子が椅子を引いてくれる。 「ありがとう」 自然に言葉が出てくる。樹斗が座ったのを確認すると、沓木は話しかけた。 「なかなか美しい娘だな。して、私の前に現れたのは挨拶をするためだけか?」 どことなく見透かされているようだが、話しにくい相手ではなかった。前に座っているのは子供なのだが、樹斗には愛想のいい老人のような気がした。 「私をこんなところに連れてきてどうするつもりだ?」 樹とは長話は嫌いだった。できればさっさと体を動かしたい。 三日間あまり動いていないのだ。体が鈍ってしまう。 そんな樹斗の急な言葉に沓木は笑って答えた。 「それが聞きたかったのか?ここはどこだとかさっさとここから出せとかいうのかと思っていたが、なかなか落ち着いた娘のようだな」 「樹斗だ」 むっとしていう。自分より年下であろう目の前の人物に娘呼ばわりされたくはなかった。 「すまんすまん。だが、それを聞いてどうするんだ?」 「いきなりわけのわからないところに連れてこられる覚えはない。私を使って何をしようとしているのかが知りたくなった。それからどうしようなどとは考えていない」 淡々という樹斗に嘘はないとみたのか。沓木は条件付きで教えると言った。 「条件は、教えても迎えが来るまでここから出ないことだ」 なぜなのだとうか、変わった条件だ。今の状態とかわらないではないか。 「それでいいなら教えてもらおう」 「では、皆は下がれ。樹斗さんと二人で話す」 急に人払いをして何やらにやりと笑うと、しっかりした声で言った。 「今の言葉、しかと聞いた。それでは約束を破らぬよう、肝に銘じておけ」 *** 相変わらず花が一面に咲き乱れている。そろそろうんざりしてきた。静司がいったものである。 「こんなに景色がかわらないところもめずらしいな」 よく山に出かける静司にはあまり高さのないこの花畑全体がうっとうしく感じられるようだ。 「ところで、今何時になった?」 あきるということに無縁の紅も、そろそろ限界が来たようだ。 「九時四十分。あと一キロメートルくらいあるかな」 「そうか」 まだあるのかといった感情がにじみ出ている。 「しゃべりながらちょっとペースを落としていかないか?」 「賛成」 三人はゆっくり歩きはじめた。 はじめ口を開いたのは紅だった。 「樹斗は今頃どうしているんだろう」 「さらわれたなら、よく漫画なんかだと牢屋に閉じ込められたりしてるけど、まさか牢屋なんていまどきないだろうから、適当に部屋に監禁されてるぐらいじゃないの」 静司はふざけたように言う。蒼は特に心配はしていなさそうだ。相手が樹斗だからなのだろうが。 「だけど、遅いと怒っているかもしれない。それが一番怖いなあ」 「誰かさんが三日間ぐっすり寝ていたから遅くなったなんて知ったら、怒るよりもあきれるだろうね」 静司が突っ込む。この話題はやめておこうと、紅は話題をそらした。 「でもなんで樹斗がさらわれたんだろう」 「俺だったらもし紅をつれてこいと言われたとき、樹斗をさらうけど」 確信しているように静司は言った。 「もし紅を連れていこうとしたら、力ずくでということになる。そんな恐ろしいこと俺はしたくないからね。おびきださせて、自分に被害があまりこないようにするには、樹斗をさらうのが一番だろう」 一理ある。紅はそうされると自分が動けなくなるのがわかる。さらった石衷という奴はなかなか考えているようだ。・・・あれ? 「静司、それだと狙いは僕だと言いたいのか?」 「そうだよ。樹斗がさらわれるなんて考えられないだろ。それに、俺たちも呼んだってことは、必ず途中で迷わず、安全に事を運びたいからだろう」 「みんなして僕を信じてないな」 「その体質じゃ、変なおじさんに捕まるのは時間の問題だろうよ」 いきなり真面目くさった顔で言い出した。 「俺も心配だったけど、拓也先輩がそばにいたから安心だと思ってたんだ」 「何を言ってるんだ?」 そこで蒼が割って入る。 「つまり、紅兄が中学の時に大勢に狙われた時から感じてたんだ。うちの家族ってなかなかよくできてるだろ。だけどそれぞれ欠点が酷くて、紅兄の場合、あまり寝ないからいきなり倒れるだろ。町中で何回もあったし、このままじゃ一人で歩かせるのも危険だっていうんで俺がついてたんだ。それに、紅兄の場合気を失った後危険だと感じたら、いきなり・・・」 ちらっと静司の方をむく。静司は続けるなと合図をおくる。 静かになってしまった。僕はいったい何をしていたというんだろう。 いつの間にか足が止まってしまった三人は、しばらく自分の考えにふけっていた。 *** 「樹斗さんを連れてきたのは、紅を手に入れるためだ」 「お兄を?」 静かな声で樹斗に語る沓木は窓から見える広大な景色を見ていた。 「私の影が紅にやられたときに感じたのだが、圧倒的な『気』を持った珍しい人材だ。ただ、まだ使いこなせていないようでうかつに連れてくることは出来ない」 あまり晴れ晴れとは言えないが、明るくなってきた空は美しかった。 だが、樹斗の心は明るくなるどころか暗くなる一方だった。 「だから兄さんや兄貴を使って連れてこさせうのか?お兄は・・・」 意外なように沓木は樹斗を見た。 「樹斗さんは知らなかったのか。紅自身も気づいていないようだから話せなかったのだろうが、他の二人は気づいていたぞ」 「兄さんと兄貴のことか?」 「静司という人物と、蒼という人物だよ」 気とは無愛想な顔がもっと無愛想になったんじゃないかと思った。紅がどこか変わっていることには気づいていたが、兄さんや、兄貴に聞くのはいいとして、沓木という知らない人物に教えてもらうことになったのが嫌だった。 「紅はきれいな『気』を持っているんだ。寝不足ではないのに倒れたということはなかったかい?たぶんその一時間くらい前に『気』を使っていたと思うよ。ちょっと時間を計ってみたんだ。だいたい合っていると思う」 そんな事は知らなくてもいい。私は別にそんな事を聞きたいのではない。 「話がずれている」 気とは低い声で言った。 「ああ、余計なことを言ってしまったようだ。つまりこういうことだ。樹斗さんを連れてきたのは紅を安全にここまで連れてくるためで、その後は好きにすればいい」 「一番初めに言ったこととそんなに変わらないな。で、紅がきたらどうするつもりなんだ?」 「そこまで教えるつもりはない」 沈黙が流れる。がそんなに長いことではなかった。 「沓木様、そろそろ昼食のお時間ですが・・・」 さっき椅子を引いてくれた男の子の声だった。 「わかった」 大きな声で返す。 「それでは樹斗さん。ヒントを有効にお使いください。あなたの昼食は別室に用意させています」 そう言って、男の子を部屋の中に入れ、昼食を出させると、案内役として遣わした。 「それでは、また」 扉が閉められる。 男の子は用意された部屋に案内すると、そのままさっさと部屋を出て行ってしまった。 (また、一人か・・・) 用意された料理をゆっくり口の中にいれて、樹斗は考えていた。 *** 「やっと花畑を抜けたみたいだぜ」 蒼が目の前に見える森を前にしていった。 「予定よりもずいぶん遅くなってしまったみたいだ。もうお昼だね」 静司が時計を見て言う。紅尋ねた。 「何か食べ物は?」 「蒼の袋の中に入れておいた」 蒼はもう昼食の準備をしている。どこで見つけたのか、食料はしっかりと入っている。果物が多いが、中にはジャガイモやサツマイモなども入っている。 「これはどうやって食べるんだ?果物はいいけど、芋類なんかはそのまま食べるわけにはいかないぞ」 「そんな事分かってるよ、だからこんなに荷物が多いんだろうに」 静司の袋の中にはキャンプ用だろうか、いろいろと必要なものが入っている。 「さて。蒼、悪いけど水を汲んできてくれないか。地図は紅の袋の中だ」 「わかった」 「紅はそのばらばらになった荷物をまとめてくれないか」 見るからに散らかったのが分かる。 「蒼は散らかすの得意だよね」 「そうなんだよな。うかつに頼んだら、どうなるかは目に見えてる」 そんな二人の会話をよそに蒼は水を汲みに行く。 左手にバケツのような入れ物を持って、右手に地図を持っている。水があるのはどうやら森の中らしい。 「紅い樹の西側に見える池まであとちょっと」 走りながら蒼は途中にあった立て札を読んだ。そのまま真っ直ぐ走ると、赤い木が見えた。 「ここから西だな」 地図を見ながら進む。水の流れる音がした。 「見っけ。さっさと汲んで・・・何だ?」 水が奇妙な動きをする。何かの形を作るかのように水が浮き上がってくる。 「おいおい、一体何が起きてるんだ?」 蒼の前に現れたのは、水でできた神殿だった。 出てきた神殿は蒼を招くかのように、扉を開いた。 「入れって言ってるのか?俺、初めてこんな体験したぜ。静兄には後で言っておこう」 バケツと地図を持ったまま、蒼は神殿の中に入った。 「どうしたんだよ紅。さっきから突っ立ってさあ」 「蒼、遅くないか?」 心配そうな顔をしている。 「何かあったのかもしれない。ちょっと見てくるから」 言いながら走っていってしまう。 「ちょっと待て紅!・・・池のある場所知ってるのかよ・・・たく、世話の焼ける兄弟だ」 もうここには来ないだろうと、必要最低限のものを持って静司も後をついて行った。 *** 涼しくて気持ちがいい。神殿の中は水の中にいるような感覚だった。 蒼はなんとなくだがここには大切なものがあるような気がした。 勝手に足が進んで、一番奥だと思われる部屋にたどりついた。 『汝、我を受け入れよ』 頭に響く声がした。 「誰だ?」 耳を澄ませていう。 『我は何時と共に歩むべきもの。汝、我を受け入れよ』 「どうすればいいんだ?」 『我を持て』 それらしいものを探す。気づくと頭の上に丸い透き通った石が浮いている。 「これか?」 『我を待て』 蒼は頭の上に浮いている石をつかんだ。いきなり水が頭の上から降ってくる。 「なんだ?いったい」 服をびしょびしょにしてしまった。寒くてくしゃみが出る。 『汝は我を受け入れた。我、汝と共にゆかん。我、汝と共に歩むもの』 また頭に響く。 手に持っていた石が蒼い光を放つ。 水の粒が周りを包む。 手から何かが伝わってくる。これは一体何だ?人の形をしているが、人の形をしているが人には思えない。どこか違う。どう違うのだろう。伝わってくるこの冷たい感覚は一体何だ? 「冷たい・・・」 石はなくなっていた。代わりに手に蒼い痣ができていた。ただ、丸い形ではなく、何かの模様のようだった。 「やっば、静兄に水汲んでこいって言われてたんだ」 来た道を戻る。一本道だから迷うことはない。急いで駆け出した蒼は、途中で何かおかしいと立ち止まった。 「道が動いてる?」 気が付くと神殿から出ていた。振り向くともうそこには神殿はなく、何もなかったようにひっそりと池の水が流れている。 「蒼!」 名前を呼ばれてはっと気が付く。 「心配させるなよ。無事でよかった」 紅が走ってくる。その後を静司が追っている。 「ああ、心配させて悪かった」 「蒼、地図はどうした?」 静司に言われて気づく。手に持っていたはずなのに、手にはあのあざがあるだけで・・・ 「なくなっちゃったみたい・・・」 手を挙げて、お手上げのポーズ。 「あれ、蒼?その痣はなんだ?」 言われたのはさっきついた痣のことだった。 「実はさっき・・・ってなわけで、俺にもわからないんだ。一体何だったんだろうな」 「今はそれより遅れを取り戻すことが先だよ。そろそろ日が暮れてきたから、こんなところにいたら何が起こるかわからない。だいたい地図は記憶しておいたから、何とかなると思うよ」 静司の言うように、辺りは暗くなっていた。三人は走ってこの森を抜けることにした。 「この森はそんなに長くないはずだ。それに、あの池があったところはちょうど森の中枢部。このまま走れば十五分くらいで目的地に着く」 ひたすら走って、走って、走った三人は、森を抜けて白い神殿に行き着いた。 「やばい、ちょっと道がずれてしまった」 一所懸命走ったのだが、そのせいで余計遅くなってしまったようだ。 「仕方ない。今日はここで休んで、また明日出直そう。まだ結構あるんだよね」 「いや、もう一つ茂美を抜けていけば・・・結構あるかも」 紅と静司をよそに、蒼は中に入っていった。 「あ、蒼が先に入ってしまったようだ。僕たちも休もう。あれだけ走ったんだ、疲れてるよな」 「疲れてないわけないだろう」 二人は神殿の中に入った。真っ白で、ついまぶしくて目を閉じてしまう。 どの神殿もそうだが、特に何も置いていないのだ。隠し部屋を見つけたと言っていた静司だが、どうやってみつけたんだが。 その静司は、何やらさっさと歩き出す。どうやら奥に行くつもりのようだ。 何か様子がおかしかったが、あとから紅はついていった。奥の部屋では蒼が先に寛いでいた。 「蒼、静司の後について行かないか?なんだが様子がおかしいんだ」 「様子がおかしい?」 その会話が聞こえていないのかさっさとどこかへ行ってしまおうとする。 「確かにおかしい。いつもなら何か言ってくるのに」 いいながら跡をつけていく。 静司が止まったのは、一つの寝室だった。 『安らぎの神殿へようこそ。お疲れでしょう、横になって寛いでいて下さい』 紅と蒼にはそう聞こえた。その声が聞こえたとき、同時に眠気が襲ってきた。二人はぐっすりベットに縋り付いて寝てしまった。 だが、静司にはそうは聞こえなかった。 『我が眠りを覚ます汝に問う。我を受け入れる力を持つものよ。汝の身をささげるものは誰ぞ?』 静司は考えた。だがこの世界にいるのは、大切なのは決まっている。 「俺と俺の兄弟」 『しかと聞いた。我が眠りを覚ますものよ。汝と汝の身を捧げるものは我が守ろう。我は汝に起こされるもの。必要なときは呼ぶがよい』 静司の周りに白い光が集まる。それはまるで静司が白い光を吸い取るように消えて行った。 「なんだったんだ?」 そのあと、静司にも急に睡魔が押し寄せてきて、三人はぐっすり眠った。 *** 気がついたときには、ベットのシーツをもって地べたに寝っころがっていた。眼鏡を外し忘れるなんて珍しいなどと思っていると、妙に体が重いことに気が付く。 誰かが僕の上に寝ている。犯人は僕を枕代わりに使っていた。耳が隠れるくらいの髪の長さは静司だろう。起き上がるに起き上がれなくて苦しい体勢だ。二人ともぐっすり寝ているようだが、これからどうやっていくのか。 寝っころがったまま眼鏡をはずして落ちてきそうにないベットの上に置くと、そのまま寝てしまった。起きても起き上がるまでいかない場合はすぐに寝てしまう紅だった。 紅は気づかなかったが、蒼はとっくに起きてこの部屋を出ていた。こっちの世界にきてからの習慣で、朝食をとりに行っていたのだ。 蒼が朝食を採り終って戻った時、紅と静司は相変わらず気持ちよさそうに寝ていた。だが、必ず起きなければいけない時間というものはあるのだ。 「兄貴たち起きろよ。もう十一時だぜ」 そして、その時間を過ぎていると知った時は、嫌でも起きようと努力する。 「何?・・・何て言った?」 眠たそうに少しずつ目を慣らしていく静司はそういった。 「何言ってるんだ。まだ八時じゃないか」 「でも、早い方がいいだろ?目を覚ましたなら起きろよ」 しぶしぶ上体を起こして背を伸ばす。 「あれ、紅?なんでこんな所に寝てるんだ?」 「紅兄も一回目をさましたらしい。眼鏡がベッドの上にある」 「二度寝入りしたって?それじゃあ、当分起きそうにないな。ベッドの上に寝かせといてやろう」 眼鏡をどかし、紅をベッドに寝かせると、蒼と静司は昼食を食べに別の部屋に行った。 その間、紅は変な夢をみる。 『我は何時に潜む紅の鬼。我を受け入れし者よ。世が混沌の渦に巻き込まれしとき、我を解放せよ。我は戦いたい。我は争いたい。汝、我を解放せねば、我、汝と共に滅びの道を歩まん』 頭の中でこの言葉がずっと繰り返される。赤と黒を背景に、最後の「汝と共に滅びの道を歩まん」のところで自身が燃え尽きて消えるのだ。 耐え切れず飛び起きると、ベッドのシーツが汗で濡れていた。 『我に従え』 はっきりと頭に響いてくる。 『我を解放せよ』 「誰だ?一体誰なんだ!」 頭が急に痛くなって、思わず抱え込んでしまう。 『我は汝にひそむ者』 ふいに、痛みから解放される。 「今のは一体・・・」 紅は汗でびしょびしょになったシーツをもってそのまましばらくぼーっとしていたが、眼鏡をかけて蒼と静司がいる部屋を捜そうと起き上がった。 服も気づけばびしょびしょで、寒くなってくしゃみが出る。 (絞ったら水が出てきそうだ) 自分の服を見て思う。 シーツはそこまで濡れていないので、きれいに掛け直すと紅は部屋を出た。 朝というにはもう遅いが十時くらいだろうか。 濡れていても気にせずまずはご飯にしようと考えていたが、それよりもあの言葉について、少し弟たちと話した方がいいかもしれないと真剣に思う紅だった。 話し声が聞こえてきたのは広間からだった。蒼と静司が話しているのだろう。 この神殿には窓がたくさんあって、光が入りやすくなっている。それに風通しも良く、涼しい風が入ってくる。 「あ、紅兄。やっと起きたな」 蒼がそう言って果物を手渡す。 「ところで、これからどうするんだ?静兄が何か面白いものを見つけたって喜んでたけど、紅兄がきてから話すとか言って教えてくれないんだ」 「おもしろいもの?」 静司の方に目を向けた紅は、何かよほど良いことがあったのだろうかと思った。あの静司はにっこり笑って、何かうれしいことを懸命に抑えているいった顔をしている。 「どうかしたのか?顔がにやけているぞ?」 忠告してやったのだが聞こうとしない。 「何をもったいぶっているんだ。さっさと話したらどうだ?」 静司は蒼もいることを確認して、嬉しそうに言った。 「実はこれからめんどくさく森を抜けなくてもいいことになったんだ。この神殿の外に小さな建物があるだろう。その中にワープゾーンがあったんだ」 「それは宮殿にるながっているのか?」 「そうだ」 三人はすぐさま荷物をまとめて、その小さな建物の中にある泉に向かった。 「確かに、ワープゾーンらしいね」 立て札にラドウ宮殿へのワープゾーンなどと書かれている。 奥に入ると、ただ泉だけがあった。 「準備はいいか?」 紅が聞く。 「いいぜ」 蒼が答える。 「じゃ、行こうか」 静司が言う。 あまりにあっけないが、ここからワープすればラドウ宮殿に行けるらしい。三人は順番に泉の中に入っていった。 *** 昨日から考えに考えた結論は、結局「お兄たちが来るまで待っていよう」だった。 沓木という子供の姿をしたここの主は、昨日のお昼からあっていない。 樹斗は、割り当てられた部屋から出ることができずにじっとしているしかなかった。ただ、書物が数冊おいてあり、暇つぶしに読んでいた。 内容はよくわからないが、この世界が作られるまでという本を手に取って読んでみる。 「この世界はあるお方が作られた。名は冴川啓介。乱丸という刀を振り、次元を切ってこの世界に現れた。ここははじめ、無の世界だった。何もなくどこまで歩いても何もない。そこで啓介は考えた。ここに何か造ろうと。 次元を切れる乱丸を持った啓介はほかの世界で宝を集め、この世界にまず花畑をしき続いて森、林、山などを造っていく。 だが、乱丸を使っている間に異変が起きた。空が淀み、大地が揺れ、造りあげたものが燃えていくさまを啓介は見た。 何が起こったのか分からない啓介は、一旦自分の世界へ帰ると乱丸の説明を書いた本を読み、驚きの声を上げた。 この世界は一時壊れかけたが、啓介は対策法を見つけ、その崩壊を止めた。 それからこの世界に災難がくることはなく、平和に時がながれていく」 あらすじを読んで、樹斗は何か引っかかる思いがした。ここに出てくる冴川啓介という人物は知っているような気がする。 「この本は後々役に立ちそうだな」 そう言って手元に置くことにした。 お兄たちが読んだら何か分かるかもしれない。 だが、読書というのは苦手らしく、そこまで読んで樹斗は窓からみえる空を見た。 「空が淀んでいるな」 樹斗の言うとおり空は淀んでいた。 「もし本当だったなら、あとは大地が揺れてここは燃えるのだろうか」 冗談にならないことを口にした。実際樹斗は冗談を言ったつもりはなかった。 そのまま空を見ているのもあまりいい気分はしないので、椅子にもたれかかかろうとしたとき、扉が叩かれた。 「樹斗さま。沓木様がお呼びです」 男の子がその扉から出てくる。 「今行く」 本を手にし、男の子に案内されて樹斗は沓木の前に現れた。 昨日のお昼にあった時と、さほど変わらない。だが、周りは少し焦っているように思われた。 「よくきてくれた」 沓木は樹斗を見つけるなり声をかけた。 「お前が呼んだのだろう」 だが沓木はそうだったか?などととぼけた。が、そんなに話している時間もなさそうだ。 「早速用件を言おう。樹斗さんのお兄さんたちがいらして、今準備をしている。それで、あなたもその場に出席して欲しい。大切な話なんだ」 「出席すれば分かる」 それだけ言うと椅子を出してきてここに座っていてくれなどという。 仕方なく樹斗は座って周りを見物していた。最上階らしく、空が見渡せる。下をみれば、この世界を見渡せそうだった。 暇なので本を読もうとすると、先ほどの連れてきてくれた男の子が 「その本は今回、沓木さまがいろいろとお仕事をするきっかけになったものです」 そう親切に教えてくれた。そして、 「この空は一体何なのかしら。なんだか怖いわね石衷」 「榊さんに怖いと言わせるなんて、お手柄ですね。あの空は」 「どういう意味かしら?」 「言葉どおりですよ」 などと話している二人の会話からして、慌ただしさはあの空が原因らしい。 そのうち準備ができたようなので、沓木が寄ってきた。 「さて、変な気を起こして騒ぎを起こすようなことはしないでもらえたらありがたい」 「そんな事をしても私の得にはならない」 「よくわかっているようだ。席はあの左のだ」 「ありがとう」 そんな会話をかわし、樹斗は沓木と別れて席に着いた。 沓木はどうやらお兄たちと話をしているらしい。あの子供の姿でどうするというのか。石衷と榊もいた。 「樹斗さんをさらって悪かったな。だが、我々も安全な策をとりたいのでな。あなたたちに大事な話がある。帰らないでどうか聞いて欲しい」 「どういうことなんだ?ここのお偉いさんはこの子かい?」 蒼が冗談ではなく本気で言っているようなので、静司などははじめあきれたが、それが真実だったので驚いていた。 「あんたがここの?まあいいか。話はしっかりしてそうだしな」 三人は樹斗のすわっている席の隣に並んで座った。前にいるのは沓木と石衷、榊だ。 「で、そのお話とやらは、俺たちにとって何か関係あるのか?」 静司が食って掛かる。紅はそんな静司をたしなめる。 「静司、仮にもわざわざ樹斗をさらってまで僕を連れてこようとしていたんだ。何か大事な話があるんだと思うよ。もう少し丁寧にききなさい」 「兄貴面してないで少しは怒ったらどうだ?これだけ面倒な事させられてよくそんな落ち着いていられるもんだ」 「怒ってどうするんだ?話が長くなって、帰るのが遅くなるんだよ?」 平然として静司に言う。話を切り出せないでいる沓木に向かって言った。 「どうぞ」 沓木はすまなそうに沈黙した後、話はじめた。 「実はとても厄介なことが起き始めているんだ。樹斗さんの持っている本を読んでくれればあなたたちにはわかってもっらえると思う」 樹斗は手に持っていた本を隣にいた静司に渡す。 静司は渡された本を読み始めた。 「それはすべて本当にあったことだ。疑ってもいいが、空を見てもらえばわかる」 「ちょっと待て、ここに出てくる冴川啓介って人物は、確か・・・」 「親父の名前だ」 紅が驚いたと声をだす。 「そうだ、親父だ」 驚いたのは沓木だった。 「えっ、その人物があなたたちの・・・ということは、この世界はあまり古くないんだな」 「そうみたいだね」 黙々と読んでいた静司は、読み終わったようだ。紅に本を渡す。 「つまり、俺たちにこの崩壊になる前に対策を練ってほしいというんだな」 「そうだ。啓介さんがあなたたちの親ならば、一度乱丸であなたたちの世界に戻り、対策法を聞いてもらえれば話は早い」 「だそうだ。紅、一度うちに戻るぞ」 そうだな。とうなずいた紅に異変が生じる。 危険はないはずなのに、目が紅くなっている。生暖かい風が吹き始めた。 「どうしたんだ、紅兄?」 異変に気付いたのは蒼だった。肩に手を触れた瞬間、鉄板に手を触れてしまったかのように熱かった。 「熱っっ!」 反射的に手を放したが、軽いやけどを負ってしまった。それに気づいた沓木が何かを悟ったようだった。蒼は榊に水をもらって手を冷やしている。 「蒼、どうして火傷なんかしたんだ?」 「紅兄に触ったら、熱かったんだ」 そう言った蒼の前で静司は紅に触ってみる。 「熱くもなんともないぞ、おい紅・・・」 静司も気づいた。紅の目が紅くなっていることに。 樹斗はそんな紅を見たことがなかった。だが、静司も蒼もここまで激しい紅を見たことはなかった。 風で荒れ狂う黒髪に紅い目がちらつく。すでに紅が座っていた椅子は熱さのせいで溶け出していた。紅以外はすでに席を立って避難している。 「どういうことなんだ?これは」 樹斗が落ち着いた声をだすが、それは紅を見ていたせいだ。 まるで何者かに操られているような目。人形のように気配を感じない。樹斗を慎重にさせるには十分だった。 その紅から、不気味な声が出てきた。紅の声ではなかった。 『我はこの者にひそむ紅の鬼。我はこの者に用がある。乱丸を使い、この世界を離れることは許さん』 やけに響く声だった。その場にいたものを圧倒するには十分にように思われたが、蒼がなにやら冷たい声で言い返した。その声も蒼の物とは思えなかった。 『紅の鬼よ。我はこの者と共に歩む者。汝はまだあきらめていなかったのか?我は汝がひそむのをやめたときに言うたはずだ。我の忠告を受け入れぬ時、汝、身を滅ぼすだろう、と』 蒼の目が蒼九光る。だが、紅は何も感じなかったように言う。 『よいのだ』 一言。そして続ける。 『我はこの者に言うた。我は何時にひそむ紅の鬼。我を受け入れし者よ。世が混沌の渦に巻き込まれしとき、我を解放せよ。我は戦いたい。我は争いたい。汝、我を解放せねば、汝、我と共に滅びの道を歩まん、と』 苦い顔をして蒼が聞いた。 『して、その者は何と返事をしたのだ?』 『我を解放せぬという』 『そうか』 どうすればこの鬼を押さえるころができるのだろうか。樹斗は考えていた。 静司もどこかおかしかった。ずっと二人の会話を聞いている。 『我はこの者と共に歩む。この者は汝を押さえ、紅という人物に戻すことを望んでいる。我はそれに従う』 『では、我は汝を倒し、この者と共に滅びの道を歩む』 風が刃となって周りを切り刻んでゆく。 沓木とその一行はそのときはじめて我に返った。 「榊、石衷。皆に避難するよう伝えてくれ」 言って、樹斗の方に声をかける。 「樹斗さん、逃げなさい!」 「私は逃げない」 「何を言っているんだ!」 ものすごい強い風で飛ばされそうになる。だが、沓木は樹斗に近づいていった。樹斗はその場で風をこらえていた。 「あなたは何をむちゃして、この場に居るといいはるんだ!」 風のせいで聞こえにくくなるため、必然的に声が大きくなる。 沓木のその叫び声に樹斗は言った。 「今戦おうとしているのは私のお兄たちだ。このまま見過ごすことができるわけないだろう!」 迫力のある声だった。自分を支えるためであったろうと思える。 そんな樹斗を、静司が見つけて風よけになってくれる。 「沓木。そろそろ私に話してもらおうか、なぜこのような状態になっているのかを!」 真剣で、声が低くなっている。 沓木は隠す必要のないことだと、すべてを樹斗に話した。 「この世界が前に壊れそうになった時の原因は、乱丸に眠る紅の鬼・・・今紅を動かしているものだ。紅の鬼は冴川啓介が乱丸を振るたびに眠りから覚めていった。そしてある日、完全に目覚めた紅の鬼はこの世界を崩壊させようとした。自分の欲求をはらすために。冴川啓介が何とかしようと立てた対策が、もう一つの力を使い、その力に頼って抑えるという方法だった。その力は蒼の鬼の力。蒼を動かしているものだ。抑えることに成功したが、崩壊寸前までいったこの世界を治すのは用意ではなかった。そこで助っ人を雇った。それが静司を動かすものだ。助っ人の力でこの世界は元に戻った。役目を果たした力はそれぞれ封印された。あまりに強大な力はこの世界にはもう必要なかった。冴川啓介は鬼を乱丸に戻し、蒼の鬼の力を水の神殿に、助っ人を安らぎの神殿に宿すと乱丸を持って自分の世界に帰り、二度とこの世界には現れなかった。冴川啓介はその時、この私を監視役にした。そして私は何年か前に自分の影を各地に送り、監視させるようにしていた。そこで拓也が紅を見つけた。その時、紅は乱丸の次元に引き込まれてきたらしいことは分かっていた。拓也に紅を追わせた。その後、何年かは何事も無く過ぎたのだが、最近になってこちらの世界が騒がしくなったので、一騒動起こしてでも乱丸を手中に置き、鬼を封印し直す事にしたのだ」 「それでお兄だけでなく、兄さんや兄貴を巻き込んだのだな」 「そう、必要なのは紅だったのだが、その方が安全なのだ」 申し訳なさそうに言うが、樹斗は許す気にはなれなかった。 「それで、お兄はどうなるんだ?」 「封印するときに一緒になって、もう出てこれなくなるだろう」 「沓木、お前は何かと乱丸に封印しようとするが、お兄に完全に封じ込めることはできないのか?」 一瞬、沓木は思い当たるものがあるようだったが、また直ぐにしょげてしまう。 「出来なくはないが、それを記した書物はここにはない」 「ではどこにある?」 「静司に聞いてくれ」 樹斗の後ろにいる静司には話が聞こえていなかったようだ。静司は紅と蒼の戦いを見守っていた。 「兄さん!」 樹斗は大声で静司を呼ぶ。だが聞こえていない。体を揺さぶっても気が付いていないようだった。そこで樹斗は最後の手段を使う。 「兄さん目を覚ませ!」 思い切り静司の顔を殴る。静司はその場に倒れてしまった。風はもうなく、熱いのか寒いのか分からない。『気』が入り混じっている。 起きた静司は我に返り樹斗のおでこを軽く叩いた。 「起こすときはもっと優しく頼む」 静司は顔をならすと、この状況を見て立ち尽くす。 「これは夢か?」 「違うぞ兄さん。それより、兄さん書物を持ってないか?それが今必要なんだ」 静司は突っかかってくる樹斗を落ち着かせると、黄色い書物を取り出した。 「俺は今、本はこれしか持ってないよ」 「それだ」 沓木が樹斗に言う。 「兄さん、これちょっと借りるぞ」 そう言って静司から書物を取り上げると、樹斗はその書物を開いた。 「あ、ばか。それは!」 静司が止めるより早く、樹斗はさっさと開いてしまった。中からものすごい光が放たれる。 何も見えなくなってしまった。 紅と蒼も異変に気づき手を休める。何もない世界。 『これでは我は何を壊せばいいのだ。壊すものがない』 紅の鬼は言う。 『ならば元の鞘に納まり今まで通りに過ごす事だ。汝がどう足掻こうと、我は一向に構わぬ』 蒼の鬼は慰めているのか、突き放しているのか分からない。 『我はこれで諦めがついた。あのようなものがあったとは。壊すものを取られる悔しさ、汝にはわかるまい。取られるくらいなら我は何事にも無関心でいようぞ』 『では我もこの者とゆっくり歩ませてもらおう』 『さらばだ』 『さらばだ』 勝手に二人で話をつけると、紅の鬼と蒼の鬼は去り紅と蒼はその場に倒れた。 「これは、どうやって帰れというんだろうな。二人のお荷物を背負うなんて、俺はごめんだ」 「私がいるぞ」 静司の泣き言に突っ込みを入れる。 どうやら、何事も一件落着したようだ。 「じゃあ、紅を頼むな」 「わかった」 静司は蒼を抱えて、乱丸を持つ。 そして構える。 「樹斗、重くないか?」 「大丈夫だ」 それを聞いて静司は乱丸を振り下ろした。 次元の切れ目ができる。 四人は無事、元の世界へ帰ろうとした。思い出したように樹斗が言う。 「兄さん、拓也っていう人は?」 「そういえば・・・」 「どこにいるんだ?」 「ちょっと待て、今助けてもらう」 一言一言内側から発するように言う。 「俺に起こされるものよ。一つ頼みがある。俺の兄弟を悲しませないために、精神の崩壊を防ぐために、俺の先輩、拓也先輩をこの場にいつもの状態で連れてきてくれないか」 『分かった。願いをかなえよう』 すると拓也が現れた。 『我を起こすものよ。我はこの世界でのみ存在する。汝がこの世界を離れたとき我はもう汝を助けることは出来ぬ。我を呼びたければこの世界へ来るがよい。この世界にいる間であれば汝の願いをかなえよう』 「ありがとう」 礼をすると助っ人も礼を返したようだった。 次元の切れ目は早く行ってくれと言っているようだった。 静司は拓也も抱え、五人は無事元の世界に帰った。 *** 蒼と樹斗はいつも通り学校に通っている。 四日間の無断欠席が痛かったが特に変わったところはない。 蒼は手に痣ができてしまって取れないと騒ぎ、何とか消そうと努力していたがついに諦めた。静司と紅は大学に通っているのだが、まだ行っていない。二人とも乱丸をもっと人の目に触れない場所に置こうと計画を練っていた。 「モノコの里辺りはどうだ?あの辺りはあまり人がいないし、隠す場所もあるだろう」 「そうだね。すこし様子をみておこうか」 二人はモノコの里に出かけた。 階段がきついがその後は特に大したことはない。上まで登ると一息ついて言った。 「さて、探しますか」 辺りは懐かしくなるくらい変わっていない。広場の周りに生える木々は年々大きくなっていくが、雰囲気は変わらない。 奥の方に行くと、この里を管理しているおじいさんの家がある。 「そうだ、おじいさんに相談してみないか?」 「それはいいかもな。ここのことはあのじいさんに聞くのが一番だろう」 静司はその意見に賛成した。 おじいさんの家は縁の下が広い変わった造りをした家だ。庭も広くてなかなか落ち着くので、紅も静司も気に入っていた。静司の場合は縁の下に潜り込めるからだろう。 「じいさん、いるんだろ?出てきてくれ」 「その声は静司か?最近めったに顔ださんから、儂より先にくたばったのかとおもっとった」 なかなか元気のいい声がして、二人は家に入れてもらった。 「実はおじいさん。乱丸という刀を知っていますか?」 「それが一体どうしたんだ?」 「知っているんですね・・・」 紅はおじいさんの顔を見て言った。 「なかなか鋭くなったな。乱丸のことは知ってるぞ。あのそら恐ろしいもん、忘れたくとも忘れられん。ところで、なんでお前らは知っているんだ?」 紅と静司は顔を見合わせた。 「もしかして、じいさん。親父に乱丸を預けなかったか?」 静司が恐る恐る聞く。 「はて、倉庫に無ければそうかもしれんが、まさか、乱丸を振って次元を切ったのか?」「そうだよ」 「よく生きて帰ってこれたな」 それだけ言うと茶をすする。 「誤魔化さないで下さい。では、おじいさんの持ち物だったんですね」 「そうだが・・・あれはお前らにやる。持ってけ」 「いらないよ。うちに預けるまでじいさんの倉庫に入ってたんだろ。じいさんが管理してくれ」 そう言うと持ってきていた乱丸を置く。 「じゃあな。用はそれだけだ」 これ以上話すことは無いと静司は家を出た。 「これ、こんなもの年寄に渡すんじゃない」 だがうかつに扱うことが出来ないのでそのまま渡された場所に置いておく。 紅もその間に家を出る。 「どうやら探す手間が省けたみたいだな。じいさん、また家に預けてこないといいけど」「そうだな」 二人はそのまま駅に向かい、それぞれの大学に通った。 *** 空が暗くなってきた頃、樹斗は家に着いた。そこで変わったものを見つける。 「母さん、玄関にあった変な壺は何?」 「モノコの里を管理しているおじいさんがいるでしょう。そのおじいさんに預かっておいてくれって頼まれたものよ」 「そうか。何か変な本もついていたが、あまり触らない方がいいかもしれないな」 あまりいい感じのしない壺だったので樹斗は関わるのをやめた。 「ただいま」 蒼が帰ってきた。やはり蒼も玄関の壺にいい感じはしなかったようだ。 「何だこの壺は。親父、これどっかにやってくれよ。玄関が感じ悪くなっちまう」 「蒼がすればいいだろ」 結局そのまま玄関に置かれたままになる。 そろそろ夕飯の支度が出来てきた頃、紅と静司が帰ってきた。 「ただいま」 「帰ったぞー」 二人してその後玄関に置いてある壺を見て言った。 「げ、なんだよこれ。悪趣味だな」 それとなく避けて家に上がる。 「おお、おいしそうなご飯。やっぱりこうでなくちゃな」 「何言っているの。さっさと荷物おろしてらっしゃい」 「それより、あの壺どうしたんだ?あんなのうちになかっただろう?」 「あれはモノコの里のおじいさんが預かってくれって届けてきたのよ」 普段ならそこで適当に答えるのだが、今日は朝のこともあるのでもう一度紅と静司は見に行った。鑑定書を読んで間違いないという。 「これも乱丸と同じように厄介な品物だ。あのじいさん、どこでこんなもの手に入れたんだか」 紅と静司は大きくため息を吐いた。実はこれからもひと月おきに厄介物を預けてくるのだが・・・こんなことなら大人しく乱丸だけ保管しておけばよかったと思う二人であった。もちろん、これらの物は屋根裏部屋に厳重に保管しておき、二度とあけられないように内側から細工をして鍵をかけた。何故返却しないのかというと、冴川啓介はモノコの里のおじいさんに頭が上がらないからである。その理由は知らされていないが、なるべく早く克服して欲しいものだった。そのうち、屋根裏部屋には誰も足を踏み入れることはなくなり、変わった厄介な品物は冴川家に忘れられてゆくのである。 |
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